母の記憶力からの気づき

多分、今年76歳になる母は
とても記憶力が良い

最近のことも、遠い昔のこともよく覚えている

月に1、2回は会うのだけれど
前に話したことや、私がすっかり忘れてるような孫たちの些細な成長もよく覚えてくれている

読んだ本の内容もよく覚えている
私なんか、話の内容どころか、読んだかどうかも忘れていることがある
家には同じ本が何冊かある(笑)
本棚に同じ本を見つけたときは、自分への信頼が薄れる、怖いとすら感じる

最近は読書アプリでちゃんと記録するようにしている
本を買ったり、借りるときは、アプリで読書履歴を確認する
そんなに多くの本を読んでいるわけじゃないのに、すっかり忘れてしまっている
今年なんかひどいもんで、もう4月なのにまだ3冊だ
このままだと私、今年、9冊しか読まない・・・焦る

話は戻って、母の記憶力の話
以前、母と二人で隣県に出向き
百貨店のレストラン街でうどん屋さんに入ったときのこと
私は知らなかったんだけど
そのお店は、関西を中心に何店舗も展開する老舗らしい

母は箸袋を眺めながら
『懐かしい。お母さん、専門学校入ったとき、新入生歓迎会でここに来た』と言うのだ
もう半世紀以上前のこと、もちろんこの百貨店はなかった
場所のことではなく、お店のことを言っているのだ
箸袋に描かれたうさぎを見て思い出したのか、始めからわかっていたのか聞いてみればよかった

半世紀以上前のこと
歓迎会が開かれたこと
お店のこと

よくそんなことを覚えているものだと驚いたのだ
もしも、その歓迎会がすごく楽しくて、思い出に残るものだったとして
お店のことまで覚えていられるだろうか
私は無理だな
いとこの子どもの名前も思い出せないのだから・・・

その話を姉にしたら
そのお店は有名だからだと言った
果たして、ほんとにそうなのだろうか
高校を卒業したばかりの娘が、有名だからといって
歓迎会で行ったうどん屋のことを50年も覚えているものだろうか
学生生活も毎日たくさんの出来事があって
その後も、何十年もの思い出が積み重なっていくのに・・・
とは思ったものの、確かに、私が知らないだけで
有名なお店ということだったので、そうなのかもしれないと納得した
私も、もしも叙々苑に行った経験があったら
きっとこの先もずっと覚えている気がする
私、叙々苑に行ったことある
これはド田舎の超庶民にはなかなかの経験値である
何度もみんなに言いたい

近所のスーパーで、叙々苑のタレなるものは売っているから
今度試してみようと思う

で、先日、春の甲子園の話をしていたときのこと
『〇〇高校(母と私の母校)も、昔は強かったんやで』と
昔というのは一体いつのことか
私が高校生のときにはもう強くはなかったし
昔は強かった、という印象もなかった

そして母は続けた
『お母さんが1年生の時、甲子園行ったんやで』
『一回戦で負けたけど』
『尾道に負けたんよ』

え〜〜〜っ!!

ってもう、悲鳴に近い声が出た
70を超えた母が
高校の時に、自分の高校が甲子園に出場して一回戦で負けた相手を覚えていたのだ

私は、すごいと思うんだけど
そんなものなのかな?覚えてるものなんかな??

私も、高校3年生の時、野球部の応援でチアガールをした
もちろん、県内の予選で敗退したけれど
どこと対戦したのか、結果はどうだったのか
何も覚えていない
ただ、ピンクのTシャツに、テニス部に借りたスコートを履いて
大会の1週間ほど前から練習した簡単なダンスを踊ったことは覚えている
野球にそんなに興味があったわけではなく、ただチアガールというものを体験してみただけだったからか
試合内容に関して、覚えていることは一つもない
失礼なもんだ

ひょっとしたら、母も
当時、野球部の彼と付き合っていたとか
余裕と思われたのに、サヨナラで大逆転されたとか
60年近く記憶に残る理由があったのかもしれないけれど

それでも、母の記憶力はすごいと思うのだけど
最近、母の記憶力が良いのではなく
その時その時、一瞬一瞬を
母は大切に、丁寧に生きてきたのではないかと
私のこれまでの生き方、物事との向き合い方と比べて思うのだ


私も【今】との向き合い方を見直すべきだと思う
私の人生も折り返しなのだ
駆け足で過ぎ去っていては、棺桶に持っていく思い出がないではないか

私は、死後の世界を信じていない
だけど、なぜか、棺桶に入るときは意識があると思っている
だから、棺桶に持っていく思い出を今から集めようとしている

一種の終活かな

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