のど自慢大会

長男は野球の大会、次男はサッカーの練習に出かけ、ようやく私の時間。
家の掃除でもしようかと、窓を開け放つと・・・

うん。知らないおじさんの歌声。

家の前の小学校で、文化祭が開かれていて、そう言えば朝から賑わっていた。
文化祭があることは知っていたけれど、カラオケ大会があるとは知らなかった。
賑やかでよいが、『孫』の気分ではない。ノリノリの音楽で家の掃除をしたかったのだ。

小さい頃、おばぁちゃんがよくテレビでのど自慢大会を見ていた。
出演しているのは、大抵は演歌を歌う年寄りか、民謡が上手なええ声の小学生。
流行りのポップミュージックなんか流れてくるわけもなく、上手なわけでもなく。私は、どうして知らない素人の歌をみんなこんなに聞きたがるのだろう?と不思議でならなかったのだ。
確か、のど自慢大会は昼間にやっていた気がするけど、夜になれば、本物の歌手の歌声が聞ける音楽番組があるだろうに。
おばあちゃんはよく、和室の小さなテレビの前に両足を伸ばして座り、歌番組を見ていた。石川さゆりとか、ちあきなおみ、八代亜紀、伍代夏子。
私は演歌のことはよくわからないけれど、おばあちゃんはよく口づさんでもいた。
そんなことより私は、その両足を伸ばして畳の上に座る姿勢が辛くないのか不思議だった。
私は、その姿勢で座ることができないのだ、背中が丸くなって苦しいし、背筋を伸ばすのも辛い。
まだ、三角座りのほうがいい。
おばあちゃんは、その姿勢のままよく両手で自分の膝を擦っていた。膝、痛かったのかな。

ある日、自慢大会が、近所のスーパーの駐車場に来ることになった。
おばあちゃんはとても嬉しそうで、一緒に見に行くかと誘われた気がする。私は興味がなかったので断ったのだと思う。
のど自慢大会の話は学校でも話題になっていて、なんと、幼馴染の男の子がそれに出たいと言うのだった。
彼はおじいしゃんおばあちゃんと一緒に住んでるわけでもなく、なんでのど自慢大会のことを知っているのか不思議だった。
私にとって、のど自慢大会は年寄りのものだったのだ。若い人しかいない家で、誰がのど自慢大会を見ているのか不思議に思ったのだ。
聞けば、なんと私の幼馴染はジャニーズに入りたいと思っていたそうだ。
それで、のど自慢大会に出て、あわよくば関係者の目に止まりたいと思っていたようだ。
歌声は聞いたことはないが、そう言えば、幼馴染は可愛い顔をしていた。いつもニコニコ優しい顔で、手足も長くスラッとしていた。
ジャニーズに入りたいと言われるまで、そんなことにも気づかなかった。
なんと彼は、家でダンスの練習もしていたそうだ。
その日を境に、彼のことを意識するように…、というようなことはなかったけれど。

私はのど自慢大会の楽しさを知らずに大人になった。
どうして見ず知らずの素人の歌声を聞かないといけないのか、何が楽しいのか。
なんで、見ず知らずの人の前で歌わないといけないのか、それでカーンと鐘一つなんてやってられない。
昔はたのしみがなかったからな。今みたいにテレビで音楽番組を見ることも、CDで好きな時に好きな音楽を聴くこともできなかったんだろう。だから、素人の歌声でも聴くのが楽しいのだろう。
幼馴染は、たまたまジャニーズへの道を模索していた珍しいやつだったのだ。
そう納得し、のど自慢大会とは距離を置いたまま大人になったのだ。

そんな私が、大人になってひょんなことからのど自慢大会に思いを馳せることになったのだ。

ある日、友人の運転する車に乗っていたときのこと。
友人と言っても、子どもの部活動で知り合ったお母さん。
気さくで話しやすくて、とても常識的で、憧れの気持ちを持っている。
その日も応援に行く途中の車の中だった。

市役所みたいな、なにかの大きな公共施設のようなところの前を通った時、彼女が
『ここ覚えてる。昔、ここにのど自慢来たんやで』と言うのだ。
おお、久しぶりに聞いた、のど自慢。ここにも来たのか。な〜んでそんな事知ってるんだろう?と思っていると
『お父さん出たんよ。のど自慢。』と。
なんと、のど自慢大会に出た人がここにいた!(ここにではないけれど)
驚いている私に、彼女はこう続けた
『お父さん、好きやったんよ、カラオケ。よく色んなカラオケ大会に出てたんよ』
私はようやく気付いた。
のど自慢大会と言うのは、急に素人の視聴者が出るのではなく、カラオケが好きで、色々な大会に参加している素人が出るのか!
よくよく考えたら、そこそこすぐに分かりそうなことに私は気付いてなかったのだ。
更に彼女はこう続けた
『3年前に死んだけどね。癌で。64歳よ』と。

そうか、お父さん、3年前に死んじゃったのか。64歳か。若いな。
私のお父さんも癌が見つかったの64歳だったな。

カラオケが大好きで。カラオケ大会に参加するのが趣味だったお父さん。
3年前に64歳で死んじゃった。
若いな。まだまだ、カラオケ大会出たかっただろうな。まだまだやりたいことあっただろうな。

今はなにもないこの場所に、数十年前、舞台が用意され、テレビカメラがやってきて、司会の人がいて、たくさんの観客の前でマイクを持っておもいっきり歌うお父さん。
会ったこともないお父さんが、ここでみんなの前で歌ってる姿を想像して、それを今思い出してるだろう彼女の心を想像して、なんだか私は切なくなったのだ。
彼女がいくつの時にお父さんがカラオケ大会に出たのか知らないけれど、中学生とか思春期なら恥ずかしいとか思ったのかな?
今、ちっとも恥ずかしそうには話してないけれど、お父さんがカラオケ大会に出るのって、娘はどんな気持ちで捉えるんだろうか?
応援?楽しみ?やっぱりちょっと恥ずかしい??
何も聞かなかったけど、この場所で、のど自慢に参加していたお父さんのことを今思い出しているだろう彼女の横顔を見ていると、何も読み取れなかったけど、何も聞かず、しんみりもせず、ただ私の中で遠かったのど自慢が、ちょっと暖かく丸くなって近づいてきたのだ。

あの時、おばあちゃんと一緒に見に行ってみればよかったな。
出たいといった幼馴染に、応募しなよ!と、私は言ってあげたのだろか?

『のど自慢』って言葉を聞くと、私は幼い頃、地元にやってきたことと、カラオケ大会に出場するのが好きな彼女のお父さん、または彼女のことを思い出すようになったのだ。

それは、自分には理解できない不思議なものとしてではなく、なんか暖かくてちょっと切ないものになって。

そう言えば、姉は見に行ったようで、確か『見てきたよ』と言いながら帰ってきた気がする。
こうして、昔のことを思い出していると、もしかしたら私もみにいったのではないか?とも思ってくる。
なんだか、簡易な舞台とパイプ椅子がスーパーの駐車場に並んでいるのを見た気がしてくるのだ。

もしかすると、幼馴染も出たのかも知れない。

先日、彼が離婚したと聞いて、なんだかショックだった。
今どき、離婚なんて珍しくもないし、場合によっていは、ハッピーに見れるときもあるのに。

その気持はまたおいおい文字にしてみようと思う。

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