少し前に、大阪中之島美術館で開催されていた、モネ展に母と行きました。
母と二人で出かけるのは久しぶりで、いい思い出になりました。
私に芸術がわかるのか…。
過去にも芸術作品を鑑賞したことはあるけれど、正直わからない。そして飽きてくる…。
今回は、展示全てモネ。
『100%モネ』ってキャッチフレーズが付いているくらい、全部モネモネモネ。
大阪まで来て、最後まで楽しめるか不安でした。
最近は、芸術がわからないことを正直に表しています。首をかしげてみたり、肩をすくめてみたり、素直に『わからん』と言ってしまいます。
昔は、カッコつけたくて、なんとなく、わかってるふりをしながら見て回っていました。
その間ずっと『わかってるように見えてるかな?』『楽しんでるように見えてるかな?』と、自分が周りからどう見えてるかが気になっていました。全然楽しめない。
でも、数年前に、息子の中学校の国語の先生が『人間失格とか、何言うてるかわからんで』と言っていたと聞き、国語の先生でそれなんだから、私がわからないのは当たり前。素直にわからんって言うていいんや。それが私の感想なんや。と、思えるようになり、それ以来、素直に首をかしげまくってます。
先日、焼き物展なるものを鑑賞したときなんか、わけのわからない置物にとうとう笑ってしまいました。が、それでいいと思うようになりました。
うんうんうなづいてるほうが嘘くさい。きっと作者も土も捏ねたことのない私にそうそう簡単にわかってもらおうとも思ってないと思うので、許してくれると思います。
そんなモネ展ですが、入口から出口まで、ずっと楽しむことができました。
楽しむってどういうこと??と思われるでしょうが、ずっと見ていたい。と思いながら見て回ることができたのです。飽きなかったのです。
飽きることなく、もう少し、もう少し見ていたい。と思えたのは初めてだったので、今の私にとってはこの感覚が楽しめたってことだと思います。
帰りに、お土産を買って帰りました、正確には母に買ってもらいました。
『傘をさす女』をデザインした素敵な缶に入ったかりんとう、ポストカード、睡蓮のしおりを買ってもらいました。
かりんとうは、東京赤坂だかのオーガニック感あふれる洒落た薄味のものでした。
私の目的はその空き缶だったので、さっさと食べてしまい、今はその空き缶を何に使おうか思案しながらクローゼットに眠っています。無念。
母も別の睡蓮のしおりを買っていました。
母も私も本を読みます。
私は、一度に数冊の小説を読めるタイプではないので、小説は1冊づつ読み終えてから次にいくタイプです。
それでも、小説以外の読み物を並行して読むことはあります。なので、しおりも数枚あります。
そして今日、ブックオフで数冊の本を購入し読み始めたところ、モネのしおりがないことに気がついたのです。
いつからないのかもわかりません。確か、手帳に挟んでいたつもりだったのですが…。
ひょっとしたら、落としたのかもしれない。そうだとしたら非常に残念です。
思い当たる場所を探してみました。
普段使いしているいくつかの鞄。しおりやブックカバーを置いている棚。アロマテラピー検定を受けた際に、問題集の解答を隠すのに使っていたことを思い出し、問題集やテキストをパラパラとめくってみましたが、見当たらない。
本棚をみてみると、読みかけの【マンガでわかる10歳までに覚えたい言葉1000】に、20年くらい前に、これまた美術館で買って、ずっと大切にしているお気に入りのしおりが挟まっていました。
この本を読みかけていたことも、このしおりのこともすっかり忘れていました。
大切にしているとはいえ、しおりと私の関係はそういうものです。毎日愛でるわけではないのです。
他にも、ブクカバーに収まった読みかけの星新一さん、しおりが挟まった情報誌も見かけました。
あぁ、私はこれを読みかけていたんだな。ここまで読んでいたんだな。と言うことは、私はこの先を知らないんだな…。などと、しおりを境に、こっちはもう出会ったもの、こっちはまだ出会っていないもの…ここが境界線か…。とか思ったりして、ちょっと感慨深いものがありました。
あぁ、いちいちめんどくさい人間である。
そうこう考えているうちに、私が今探しているモネのしおりも、私が読みかけたなにかの間に挟まっていて、いつかまたその時が来たら、ふいに見つけ、あぁ、私はあの頃、この本をここまで読んでいたんだな。とか物思いにふける日が来るのかもしれない。
と、思うと、それもまた楽しみに感じ、無理に今、あちこちひっくり返し探そうとするのはやめようと思いました。
いつかまた、何かに挟まったしおりを見つけたとき、それは数カ月後か、数年後かわからないけど、私はどんなことを思い出し、何を思うのか、楽しみではないか。そう思うようになったので、しおり探しはやめにすることにしました。
あぁ、神様。私がどこかで落として既にゴミとして焼却されている…ということがありませんように。
しおり探しはやめたんだけどね。
中之島美術館の入口にはヤノベケンジさんの猫のオブジェがありました。
それは、白い猫が宇宙服を着た大きなオブジェで、可愛くてモダンでとても目を引くものでした。
ヤノベケンジさんのことはその時初めて知ったのですが、それはやっぱり1枚記念写真を取りたくなるようなものです。
コロナ明けで、たくさんの外国から観光客の方もみんな記念撮影をされておりました。
私と母も記念撮影をすることにしました。
オブジェの前に立つ母をカメラに納めたとき、やっぱり私の頭には【これが最後かも】という気持ちが湧くのです。
今にも死にそう…ってわけじゃないです。それでも二人で電車に乗って大阪まで来て、こうして派手な猫の前で記念撮影をするのはきっと最後だろうと思うのです。
次は私が撮られる番。ピースはしてみたものの、私は頭の中で【きっと、いつか。私はこの日のことを強く思い出すんだろうな】と思いながら、笑ってみたのでした。
帰り際、ヤノベケンジさんの作品のどれかのミニチュアが当たる。というガチャ的なものを500円で買いました。
私達が記念撮影をした、中之島美術館正面にある宇宙服を着た猫以外の猫が当たることもあります。何が当たるかはわかりませんが、私は何が当たってもいいかな、と思っていたのですが、母は『アレ(記念撮影した宇宙服を着たアレ)やったらええのにな』と言いました。
そうか。私は、たまたまヤノベケンジさんのなにかに触れることができたのだから、何が当たっても調べて愛着を持てばいいと思っていたのですが、母は私達が記念撮影をしたあの猫(宇宙服を着た猫)に思い入れがあるんだなと思いました。
そして私は見事にあの猫(宇宙服を着た猫)を引き当てることができました。
母は嬉しそうでした。
確かにやっぱり、全然知らない猫より、馴染のある猫を引き当てることができて嬉しい気持ちと…
私は、きっといつか、この猫を見るたびに今日のことを、母のことを思い出す日が来るのだろう…
と、思い、絶妙にセンチメンタルなのでした。
家に帰り、その猫をどこに飾ろうか悩みました。
一瞬、トイレ??と思いましたが、この猫はある意味母である気がして、トイレはしのびなく感じ、リビングの一等地に飾ることにしました。
今は、ただのなんだかかわいい猫ですが、いつかきっと必ず、私にとって大切な猫になるんだと思います。
その時には、モネのしおりも見つかっていれば、なんだか安心するんだけれど。
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